2010年10月15日金曜日

Irish or the US education

大学院第一学期が始まって3週目が終わりました。こちらの教授方法は、2007-08年に客員研究員(実態は客員学生)として過ごした米国のGeorgetown University, Security Study Program(SSP)とは大きく違うため、最初は戸惑ったのですが、慣れたと同時に自分のペースもつかめてきたところです。

所属している国立ダブリンシティ大学、Dublin City University(DCU), MA in International Security and Conflict Studies(MISC)は、John Doyle学部長に言わせると「"Security Studies"と"Peace Studies"のちょうど中間を学ぶイメージ」です。Security Studiesの大学院には前述のGeorgetown/SSPのほか、英国のKing's College, University of Londonが代表格のようです。実際、DCU/MISCにはSSPやKing'sにあるようなintelligenceを扱う科目がなく、大学院の性格とはいえ残念ではありますが、修士論文や各科目のエッセイに合わせて自分で学ぼうと考えています。

では米国式と何が違うのか‐‐。まずは、予習に課される読書量です。SSPでは毎週、どの科目も論文数本、本一冊、政府発表のレポートや雑誌の特集記事など、200-300ページを読んでいかなければならないのは当たり前でした。担当教授がシラバスにメニューをきっちり揃えてくれており、それらを読み込んだ知識を講義での議論で確かめるという具合です。一方、DCU/MISCでは、各科目で課される予習量は論文3-4本、ページ数にして100ページ以内が必修文献です。教授達はこれに加え、各週のテーマごとに参考図書や論文を10冊(本)程度、それぞれリストアップしてくれます。つまり、「このテーマに関心のある学生は、これらも頑張って読んで知識を深めて下さい」という訳です。欧米の教育関係者に聞いたところによると、こうした方法は欧州の大学院で一般的なようです。料理でいえば、コースメニューの米国に対して、プリフィックスもしくはアラカルトメニューの欧州というイメージでしょうか。

そして授業では、教授の講義に対して学生が競い合って意見を述べるだけの米国式とは違い、どの授業でもプレゼンテーションやディスカッションでグループワークも求められます。この点も欧州では一般的なようです。もちろん、張り合うように意見を言い合うのはこちらでも同じですが、情けないことにまだまだ互角に張り合えていません。さらに、中間や期末のレポート、エッセイの問題は学期の初期にあらかじめ知らせてくれます。SSPでは事前に個人で問題設定をして教授と打ち合わせたり、提出締め切りの約一か月前に問題が発表されていました。

その講義ですが、第一学期は必修ばかりで次の五科目を受講しています。
  • Resolving and Managing Conflict
  • Research Methods
  • International Security
  • Issues and Practices in Contemporary International Politics
  • International Law and the Use of Force
中でも、米国人留学生は「"Research Methods"のような授業はアメリカにはなかった」と驚いていました。またintelligenceの講義はないものの、"Resolving and Managing Conflict"や"International Law and the Use of Force"は学部やSSPで学ばなかった分野だけに、英語で理解するのは骨が折れますが、新しい分野を知る楽しさがあります。

例えば、"Resolving and Managing Conflict"の第一週で必修論文の一つだった、Paul Collier教授(オックスフォード大学経済学部)の"Economic Causes of Civil Conflict and their Implications for Policy"は、紛争が起きる国には共通の経済的要因があると説きます。それは、①急速な人口増加②例えばダイヤモンドのように、その国でほとんど唯一の輸出品③低教育普及率④人口の45%以上を占める一民族の存在などです。この論文は"Greed or Grievance"理論として知られ、「紛争が起きる要因は、経済的要因"Greed"が大きい」というその妥当性を巡って学会で議論を呼びました。

そのPaul Collier教授は世界銀行のディレクターも務めたエコノミストでもあります。
http://users.ox.ac.uk/~econpco/

講義でも、ある特定の紛争国に当てはめて考えよとの課題が出されました。1992年に崩壊した旧ユーゴスラビアに当てはめると、①急速な人口増加はなく②ある程度の工業国で観光資源に恵まれていたほか、競争力のある輸出品目はなかった③教育レベルは平均より高かったとみられる④セルビア、クロアチア、モスレム、スロベニア、アルバニア、モンテネグロ、マケドニアと人種は多数存在し、支配的な民族はなかったと言える。そもそも、スロベニアとクロアチアが相次いで独立したのも、セルビア民族主義の高まりに対する不満"Grievance"が強かったためで、妥当性はないと結論付けました。

ところが、Collier教授は同論文の中で、「1991-92年にスロベニアとクロアチアが相次いで独立を果たしたことでセルビア民族の支配率が高まりボスニア紛争になった」と分析しています。一見すると妥当なようですが、スロベニアとクロアチアが独立した段階でそれぞれ短期間ながら、旧ユーゴ軍・セルビア軍勢力との紛争が起きており、"Greed or Grievance"理論をボスニア紛争だけに当てはめるのは妥当性を欠くと考えます。

ただ、議論は別にして、経済学者の観点から紛争を分析する手法は新鮮でした。担当のJohn Doyle博士も「紛争は経済学だけでは分析しきれず、社会的、政治的な背景も合わせ見なければならない」と当然のことを述べながら、多角的なアプローチの必要性を学生に説いていました。ちなみに、"Greed or Grievance"理論の妥当性と非妥当性は中間期エッセイの問題の一つにもなっています。

その他、学生生活の一般的なことでいえば、図書館が遅くても22時までしか開いておらず、日曜・祝日は利用できない不便さが米国との違いですが、同様の感想をアイルランド・米国政府間の奨学金で留学した米国人学生達も抱いており、Irish Timesが特集記事で取り上げていました。

http://www.irishtimes.com/newspaper/education/2010/0928/1224279816040.html

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