2013年6月18日火曜日

日本版NSCで思うこと

安倍総理の悲願ともいうべき「国家安全保障会議」(日本版NSC)創設の関連法案が衆議院に提出された。第一次、第二次と安倍政権成立からずっと議論されてきた法案であるので概要は省略して、些細かもしれないが、気付いた点を指摘しておきたい。

外交・安全保障に関する調整機能と情報収集の権限を認める法案であり、情報収集政策を強化することが目的ではなさそうであるから、結局、役所から事務次官等幹部を経て、官邸へという従来の情報の流れを多少変えるだけの法案と読める。国家安全保障局に数十人規模の職員を置くというが、このスタッフは結局、省庁間の調整、情報共有が主たる仕事になってしまうのではないか。

元内政官僚からは「関連省庁から出向者を集めて組織化したとしても、任期後の役人人生を考えれば、結局官邸より出身母体を見て働くのがオチだろう」とか、「寄せ集めでは内閣情報調査室と同じだ」との指摘があった。

この点は、少し視点がずれるかもしれないが、9/11テロ後の米国で、それまでインテリジェンス・マスターの地位にあったCIA長官の上位として、国家情報長官(National Director of Intelligence)というポストと専従スタッフを新設した事例が参考になるかもしれない。9/11テロを招いた原因は、CIA、FBI、NSAのそれぞれがつかんでいたテロの兆候を共有し、総合的に分析し、活用できなかったという反省に立ち、米国政府として把握した情報を総合的に判断しようという組織改革だ。NDIを設置して、情報の集約はどれほど効率的になり、大統領の意思決定に影響を及ぼしたのか検証する価値はあるだろう。

日本版NSA法案も、あくまでも官邸という内側の機能強化の議論である。しかし、収集・分析する情報量を増やさなければ、単に情報の流れを変えるだけで日本版NSAは終わってしまう。

周囲でも、本当に必要なのは情報収集能力の強化、キャパシティの拡大だという声は多い。日本版NSCの法案提出を報じた読売新聞は「日本には独立した対外情報収集期間がない」とし、菅官房長官のコメントを引用しながら「政府内では諜報員の育成や諜報組織設置の検討も始まっている」と報じている(2013年6月8日付朝刊2面)。

収集した情報を分析し、共有、検討の後、情報収集し直し、再び分析…というサイクルを強化することで、質の良いインテリジェンスを生み出せる可能性はある。だがその前提には、国内外で多くの情報を集めてくる能力が必要条件となる。

読売新聞記事には、政府は「『スパイ』をタブー視する世論も根強いとみて、慎重に検討する方針」とある。それでも、国外では人知れず、体を張って情報収集を続けている外事警察官、防衛駐在武官、外交官等が活躍しているであろうことは、麻生幾氏の著作で細かく描かれている。

例えば、各省庁、自衛隊、海上保安庁、JETRO等外郭団体、あるいは民間企業から、好奇心と冒険心に富み、外国での孤独な生活に耐えられる精神力を持った人間、特に若者を、密かに一本釣りして、情報収集を担ってもらうのはどうだろう。対象国の語学から歴史、文化、教養も徹底的に学んでもらう。リスクを冒す業務である分、報酬は特別な扱いとする。

最後に、NSCが設置されたとして、情報収集の現場との間に、NSC及び官邸の意向、つまり必要な情報の発注とフィードバックが可能となる仕組みも採り入れることを、日本版NSC法案は視野に入れているのか。インテリジェンス・サイクルが効果的に回る体制でなければ、向上させた情報収集力・分析力も、官邸の機能強化も、意味をなさなくなってしまう。

もしここまで実現したら…と思えるほど、日本版NSC法案は可能性を秘めているとも考えられる。もっとも全てが現実になったとして、私が手を挙げても採用してもらえるほどもう若くないかもしれないが。

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