14日日曜日、北アイルランドのデリー/ロンドンデリーを日帰りで訪れました。ベルファストに次ぐ第二の都市とされますが、人口は約10万6000人。奇妙な静けさに包まれた街という印象を持ちました。
アイルランド北部にあり、街の西側で共和国と接する古都。Real IRAが活発な地域でもあります。北アイルランドではここ2-3年、未遂を含む爆破事件が多発していると報道されており、デリーでも10月に街北部のショッピングセンター近くで、自動車に仕掛けられた爆弾が爆発する事件がありました。クラスメートにデリーを訪れたことを話すと、「危険な雰囲気はなかったか」と気をもんでくれました。共和国の人も北の不穏な情勢を懸念しているようです。
街の中心部は、プロテスタントの入植者が17世紀初頭に築いた城壁で囲まれています。城壁の街というとクロアチアのドブロブニクを思い出しますが、壁はそれほど高くはありません。
午後12時半頃に中心部に着いたのですが、ショッピングモールは閑散としており、聞けば13時開店とのこと。城壁内の中心部は一時間もあれば十分歩いて回れる程度の広さです。モールは大小合わせ3か所ほどあり、夕方4-5時にはクリスマスセールを楽しむ買い物客で溢れていました。街中を歩きながらふと見上げると、通りには数メートル間隔で監視カメラが設置されていることに気づきました。
城壁の外には住宅地が広がります。カトリック住民が多い一角なのか、所々に共和国の国旗が掲げられています。城壁に展示されている大砲の背後から外側を眺めると、砲がちょうどその一角に向いていて、偶然とはいえ、少し暗澹たる気持ちに襲われました。
共和国国旗がはためく一帯には、紛争で亡くなったIRA/Sinn Fein関係者を弔う記念碑がいくつかあります。とりわけ象徴的な意味を持つのは、1972年1月30日に公民権を求めるカトリック住民が英国軍に殺害された「血の日曜日事件」のモニュメントです。
モニュメントの近く、英国軍に撃たれた数人が亡くなった場所の辺りに"Museum of Free Derry"があるのですが、この日は休日で見学できませんでした。また、この一角にはカトリック住民側から見た紛争をモチーフにした壁画が多く、行く人の目を惹きつけ、見つけるたびに足が止まりました。
街で接した人の印象はというと、やはりアイリッシュです。警戒するかのように、こちらをじっと見つめていると思いきや、一旦、言葉を交わすと優しく親切で、裏のない笑顔を見せてくれます。そしておしゃべり好き。ダブリンから空路で日帰りしたのですが、空港の往復に乗ったタクシーでは、話が途切れることはありませんでした。
ただ、言葉の端々や何気ない一言に共和国とダブリンへの対抗心や、英国への親近感が読み取れます。もちろん人によるのかもしれません。例えば、「ダブリンから来たのか?ダブリンは好きか?人が良いからな。でも、俺たちロンドンデリーの方がもっとフレンドリーだ」とか、「ロンドンで10数年働いていた。いい街だ。戻りたい」といった具合です。
付言すれば、街の名前も共和国の人の多くは「デリー」と言い、北アイルランドでは「ロンドンデリー」の呼び名が好まれているようです。
夕方、市役所を兼ねるギルドホール近くで18世紀から続くパブにブラリと入りました。中高年の男性客10人くらいがビールを飲みながら早口のおしゃべりに興じ、テレビのフットボール中継を見ては歓声を上げています。その姿と雰囲気はダブリンで見る光景と何ら変わりはありません。
午後6時半。空港へ行くのにタクシーを捕まえようと、買い物客が家路を急ぐ中心部を歩いていると、城壁の落書きに目が留まりました。
"PRIDE NOT PREJUDICE" 「偏見ではなくプライドを」
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