ドブロブニク旧市街はユネスコの世界遺産に登録されていることは広く知られています。旧市街のすぐそばで暮らすある家族の女性は言います。「内戦で崩壊した家を建て直すのに、政府も国連もほとんど何もしてくれなかった」。女性の家族は約200年にわたり代々住み続けていますが、家の再建のため受けた公的補助は、「2000ユーロと600ドイツ・マルクだけだった」と当時を振り返りました。旧市街地を歩いていると、「真珠」のような白い壁のあちこちに銃弾の跡が見られます。また、アドリア海に面した旧市街の南側には、家屋が崩壊したがれきが今もそのまま残っている所もあります。
ドブロブニクからはボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルにも、日帰りのバスツアーが出ています。ボスニアはイスラム教徒の多い国ですが、ドブロブニクのクロアチア人によると、最近はイラン、イラク、アフガニスタンから、イスラム過激派の難を逃れて移住するモスレムが多いとのことです。この政治的亡命話は、ボスニア紛争がイスラム、カトリック、セルビア正教という異宗教間の民族紛争だったことを改めて物語っているように思えました。
ドブロブニクで話したクロアチア人達は今もボスニアやセルビア人に対し、簡単には言い表せない複雑な感情を抱いている様子でした。平和的な雰囲気と活気が漲る街ですが、"Homeland War Museum""Homeland War Gallery""War Photo Limited"といった内戦関連の博物館があります。また、"Maritime Museum"と"Sponza Palace"といった一般の博物館でも内戦被害を展示していて、しばしば心を痛めました。
と同時に、ドブロブニクの人達がいかに苦労して、頑張って、内戦から立ち直ったのか知りたいという好奇心も働きました。復興に関する展示や博物館が同じように数多くあれば、ドブロブニクという世界遺産が経験した内戦の悲惨さを更に訴えられ、戦争への抑止力になるのではないでしょうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿