2010年9月10日金曜日

Dubrovnik, the ex-Yugo Civil War

旧ユーゴスラビア諸国の一つクロアチア共和国のドブロブニクを、8月22日から29日まで旅行してきました。かつて、イギリスの元首相ウィンストン・チャーチルが「アドリア海の真珠」と称賛した古都ですが、1991年12月6日早朝の旧ユーゴスラビア軍とセルビア軍による攻撃で、旧市街中心部から山側に面した北半分は焼け落ちてしまいました。それでも住民たちはほとんど自力で家を改修し、街は世界中から観光客をひきつけています。


ドブロブニク旧市街はユネスコの世界遺産に登録されていることは広く知られています。旧市街のすぐそばで暮らすある家族の女性は言います。「内戦で崩壊した家を建て直すのに、政府も国連もほとんど何もしてくれなかった」。女性の家族は約200年にわたり代々住み続けていますが、家の再建のため受けた公的補助は、「2000ユーロと600ドイツ・マルクだけだった」と当時を振り返りました。旧市街地を歩いていると、「真珠」のような白い壁のあちこちに銃弾の跡が見られます。また、アドリア海に面した旧市街の南側には、家屋が崩壊したがれきが今もそのまま残っている所もあります。


約20年前の内戦を今も感じさせる遺物は他にもありました。クロアチアの南部と接するモンテネグロとの国境です。8月27日、日帰り旅行でモンテネグロを訪れたのですが、クロアチア側の出国審査を終えると、バスで約10分間、”無国籍地帯”を走りました。モンテネグロへの入国審査はありません。この一帯は現在、欧州連合によって国境を再区画されている最中です。帰路も同様に、モンテネグロ側での出国審査はなく、クロアチア側での入国審査だけ受けました。

ドブロブニクからはボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルにも、日帰りのバスツアーが出ています。ボスニアはイスラム教徒の多い国ですが、ドブロブニクのクロアチア人によると、最近はイラン、イラク、アフガニスタンから、イスラム過激派の難を逃れて移住するモスレムが多いとのことです。この政治的亡命話は、ボスニア紛争がイスラム、カトリック、セルビア正教という異宗教間の民族紛争だったことを改めて物語っているように思えました。

ドブロブニクで話したクロアチア人達は今もボスニアやセルビア人に対し、簡単には言い表せない複雑な感情を抱いている様子でした。平和的な雰囲気と活気が漲る街ですが、"Homeland War Museum""Homeland War Gallery""War Photo Limited"といった内戦関連の博物館があります。また、"Maritime Museum"と"Sponza Palace"といった一般の博物館でも内戦被害を展示していて、しばしば心を痛めました。

と同時に、ドブロブニクの人達がいかに苦労して、頑張って、内戦から立ち直ったのか知りたいという好奇心も働きました。復興に関する展示や博物館が同じように数多くあれば、ドブロブニクという世界遺産が経験した内戦の悲惨さを更に訴えられ、戦争への抑止力になるのではないでしょうか。

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