2010年9月27日月曜日

Northern Ireland Alert

MI5と英国内務省が北アイルランド情勢について"Strong possibly attack"という表現で英国本土内での爆破計画などへの警戒を高めました。前週にMI5長官が講演で示した認識を踏襲したもの。

http://www.guardian.co.uk/uk/2010/sep/24/mi5-britain-terrorism-threat
http://www.irishtimes.com/newspaper/ireland/2010/0925/1224279657498.html

少し前の報道では、アイルランド・英国政府は反体制派共和主義者たちとの協議していないと報じられていましたが、この情勢判断を受けて今後はどう対応するのだろう。関心が高まります。

http://www.irishtimes.com/newspaper/ireland/2010/0921/1224279368209.html

また、共和主義者やUnionist、Nationalist等との関係は不明ですが、北アイルランドにおける人身売買などの組織犯罪もニュースになっています。

http://www.irishtimes.com/newspaper/ireland/2010/0922/1224279433567.html

いずれにせよ、研究対象の現状が時々刻々と流動化しており、目が離せません。

2010年9月23日木曜日

Money laundering & terrorist financing in Italy

日本のメディアも報じていますが、バチカン・ローマ法王庁の銀行預金の送金が、イタリアの対マネーロンダリング関係法に違反している疑いがあるとして捜査されています。

http://www.guardian.co.uk/world/2010/sep/21/vatican-bank-chief-investigated-laundering
http://www.irishtimes.com/newspaper/frontpage/2010/0922/1224279435168.html
http://www.bbc.co.uk/news/world-europe-11380628

一方、イタリアのある銀行は長年リビアとの取引関係が深く、近年は風当りが強まっているようです。

http://www.guardian.co.uk/business/2010/sep/21/unicredit-boss-expected-to-quit

2001年の9/11テロ以降、各国の金融当局の連携でマネーロンダリングとテロ資金供与対策(Anti-money landering and countering terrorist financing, AML/CFT)は緊密化しています。日本でも警察庁主導で有識者会議を開くなど、不透明なマネーへの監視は強まっており、ローマ法王庁の資金に対する捜査は、宗教(団体)も対象の例外でないことを物語っていると言えます。

http://www.npa.go.jp/sosikihanzai/jafic/index.htm

Kim Jong-un? The next DPRK leader

北朝鮮の後継者問題については、欧州でも関心の高いニュースです。GuradianもIrish Timesも22日付紙面で力の入った記事を掲載していました。特にGuradianは金一家に仕えた日本人の元料理人にも取材し、金正雲の人物像に改めて迫っています。また、Irish Timesに掲載されているAP通信の写真をみると、金正日の老けた姿が時間の猶予のなさを感じさせ印象的です。

http://www.guardian.co.uk/world/2010/sep/21/north-korea-kim-jong-un
http://www.guardian.co.uk/world/2010/sep/21/north-korea-leadership-workers-party
http://www.irishtimes.com/newspaper/world/2010/0922/1224279432731.html

MI6 & Interrogation

CIAが水攻め拷問を行っていて非難を浴びましたが、MI6でもこんな話が9月22日付Guardianの1面で報じられています。

http://www.guardian.co.uk/law/2010/sep/21/mi6-consulted-david-miliband-interrogations

そのMI6についてですが、早速、公式史書を購入しました。ペーパーバックで22.45ユーロ。本文はMI5より約100ページ少ない752ページあります。当然のことながら、アイルランドやIRAに関する記述は少ないです。設立された1909年から、第二次大戦後の1949年までの公式史書ですので、日本に関する記述が多少あり、読むのが楽しみです。9月22日付Guardianも見開きで紹介。

http://www.guardian.co.uk/world/2010/sep/21/mi6-first-authorised-history

また関連記事として、第二次世界大戦で活躍した女性スパイEileen Nearne氏の葬儀についても取り上げています。Irish Timesの記事も合わせて読むと、壮絶な活動をしながら、引退後はひっそりと過ごしていた様子がうかがえます。

http://www.guardian.co.uk/world/2010/sep/21/spy-eileen-nearne-heroine-burial
http://www.irishtimes.com/newspaper/world/2010/0922/1224279433443.html

2010年9月22日水曜日

Al-Qaeda in the Islamic Maghreb

フランス情報機関の警戒は、アルカイダ系のテロ組織に対するものだったようです。BBCとGuardianから。

http://www.bbc.co.uk/news/world-europe-11379532
http://www.bbc.co.uk/news/world-africa-11386484
http://www.guardian.co.uk/world/2010/sep/20/france-alert-terror-threat-paris


それにしても、9月14日はパリに滞在していましたが、こんな騒ぎになっていたとは恥ずかしながら知りませんでした。

http://www.bbc.co.uk/news/world-europe-11302294

9月22日付Irish Timesでは、ド・ビルパン仏前首相のこんな批判を取り上げています。テロの危険性を知らせるか否か、知らせるとしたらどのようにするのがベストか。あるいは、知らせるべきではないのか。その場合、テロが現実となり、その上、犠牲者が出たとしたら、非難は避けられません。テロへの対処を求められた為政者の判断と決断は常に苦渋に満ちているものなのでしょう。

http://www.irishtimes.com/newspaper/world/2010/0922/1224279433414.html

The Official Archive of MI6

MI5に続いてMI6の公式史書が出版されました。MI5は1909年から現在に至るまで記述されているのに対し、MI6は1909-1949年の40年間に限られています。1950年代以降の隠された歴史が明らかにされるのはいつになるのでしょう。興味は今後何十年も尽きません。

http://www.bbc.co.uk/news/uk-11383493
http://www.bbc.co.uk/news/uk-11378601

執筆者はQueen's University, BelfastのKeith Jeffery教授。

http://www.qub.ac.uk/schools/SchoolofHistoryandAnthropology/Staff/AcademicStaff/ProfessorKeithJeffery/

BBCのインタビューに対し、「子供がお菓子屋さんに入るような興奮を覚えた」と語っています。

http://www.bbc.co.uk/news/uk-11377240

こちらは、4年前に編纂が決まったの時のインタビュー記事。

http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/6186381.stm

出版のレポートと合わせ、スパイ小道具についてもレポートされてます。ワシントンDCにある「スパイ博物館」を懐かしく思い出しました。

http://www.bbc.co.uk/news/uk-11383496
http://www.spymuseum.org/

とにかく、明日またも書店へ急がねばなりません。お菓子を買い求めるかのように。

2010年9月21日火曜日

Warning by DG of MI5

MI5長官が最近の北アイルランド情勢について強い警戒感を示しています。先日読み終えた公式史書でも、MI5は数年前の時点で「Real IRAとContinuing IRAによる攻撃は強まるだろう」と予測しており、今回の長官の発言はそれを裏付ける形の警告となりました。北アイルランド警察関係者は、共和国(南)との国境周辺での捜査協力が必要だと呼びかけています。

http://www.irishtimes.com/newspaper/ireland/2010/0918/1224279171528.html

2010年になって北アイルランドでの事件が多発している理由は何なのでしょうか。明確な説明はまだ目にしていませんが、近年の経済状況の悪化が背景の一つに挙げられるかもしれません。

http://www.irishtimes.com/newspaper/finance/2010/0916/1224278993713.html

北アイルランドは英国内でも特に経済状況が悪く、失業者数も増えています。仕事がなくて金に困って、ギャングや反体制派共和主義者の犯罪の片棒をかつぐことがあり得てもおかしくありません。

それにしても、"the Worshipful Company of Security Professionals"のような組織が英国にはあるんですね。無知なだけでしょうが、英国のSecurity分野の裾野の広さと伝統を感じます。

http://www.wcosp.com/

2010年9月20日月曜日

The Defense of the Realm

Cambridge UniversityのChirstopher Andrew教授によるイギリスMI5の公式史書(本文851ページ)を読了しました。以下はIRAに関する記述のメモ。
  • 1980年代、国際的テロ活動の強まりを受け、MI5はテロ対策にも重点を置くようになった。1909年の創設以来、二度の世界大戦期はドイツの、冷戦期はソ連の諜報対策が中心だった。中東のテロ組織やIRAの活動は1960年代の終わりから顕著になってきていた。英国本土におけるIRAテロ対策の主役は1883年に創設されたロンドン警視庁のSpecial Branchだった。北アイルランドではその役割をRoyal Ulster Constabularyが担い、MI5はそれぞれをサポートする立場だった。IRAによる英国本土の攻撃の最初は1938-9年にさかのぼる。北アイルランドとアイルランド共和国(南)の国境周辺においては1958年。その当時、MI5はユニオニスト政府からの要請を受けてBelfastにLiasonを置いていたものの、IRAと対峙していたのは、英国陸軍の支援を受けたRUCだった。
  • 英国本土の政府内では1960年代の終わりまで、北アイルランド情勢についてあまり議論されることはなかった。しかし、MI5は1968年に高まったカトリック系住民による公民権運動がIRAの支持基盤拡大につながるとみていた。英国政府は1969年にthe Official Committee on Northern Irelandを、Joint Intelligence CommitteeはCurrent Intelligence Group on Northern Irelandをそれぞれ設立し、対策に腰を上げた。1969年6月、JICは北アイルランドには①IRA②公民権運動派③プロテスタント過激派が主に活動しており、中でも①は共産主義者の、②はトロツキー主義信奉者の支持を受けていると分析した。実際、IRAはアイルランド共産党や共産主義者を通じて、ソ連へ武器提供を要請。ユーリ・アンドロポフ書記長は当初拒絶したが、1971年頃にゴーサインを出した。そうした背景の中、英国政府は1969年8月14日、治安維持を目的に英国軍を北アイルランドへ派兵した。
  • こうした英国側の動きに対し、IRAは例えばRUCに関する何の秘密情報も持ち合わせておらず、ダブリンで得られるような公式発表物の情報しか取得していなかった、とアイルランドの歴史学者の大家、Trinity College of DublinのEunan O'Halpin教授は指摘している。
  •  http://tcdlocalportal.tcd.ie/pls/public/staff.detail?p_unit=histories_humanities&p_name=ohalpine
  • 1974年のIntelligence Co-ordinator's Annual Reportによると、MI5の活動全体のうち、3-4.5%しか北アイルランド問題に充てていない。対転覆工作活動全体に占める割合でも、テロ対策には10%未満、北アイルランド問題には15%程度だった。それに対して、対諜報活動には全体の52%、対転覆工作活動には28%の人員や資源を割いていた。英国政府は1916年のイースター蜂起や1922年のアイルランド自由国独立時から、IRAとシン・フェインに対し注意を払っておくべきだった。そうすれば、その後の紛争と混乱を長く避けられたかもしれない。1970年、ベルファストに派遣されたMI5のSecurity Liason Officerは着任直後、「情勢は混沌としている」と記している。混沌の原因には、警察機構と軍部、官僚の相互不信が指摘される。1976年の同レポートでは、「北アイルランド問題に対し、長期的視野が欠けている」と批判している。
  • 他方、PIRAの活動も1920年代の成功体験にしがみついた時代遅れの戦術だった。それでも、1969-71年の間に、IRAボランティアの数は約50人から1200人に増えていた。これに対し、RUCのインテリジェンスは、望みがないくらいに古かった、という。
  • 1972年1月30日のデリー/ロンドン・デリーで起きたブラッディ-・マンデー事件を受け、IRAは同年2月22日に英国本土で、3月24日にはベルファストで復讐のテロ攻撃を起こした。これを受け、英国政府はNorhern Ireland Officeを立ち上げる一方、MI5とMI6で構成するIrish Joint Sectionをロンドンとベルファストに開設して対処にあたった。MI5は北アイルランドでの情報収集経験に乏しく、また、北アイルランドは最も不人気な派遣先だった事情から、IJSの中心の中心的役割はMI6が担った。
  • IRAはリビアのカダフィ大佐からも武器提供を受けていたが、1973年のクラウディア号による武器密輸は英国側に阻止され、失敗に終わっている。1970年代後半には、カダフィ大佐側との関係悪化で、資金も枯渇するようになった。それと同時に、PIRAの活動も弱体化していた。北アイルランドにおけるテロ行為による死者数は、1974-6年の平均264人から、1977-9年は102人減少した。PIRAのボランティア達が英国側に殺害、逮捕されたためと考えられる。
  • しかし、1978年の夏には大陸欧州へテロが拡大した。ドイツ国内三か所で爆破、爆破未遂事件があったのをはじめ、11月30日から12月1日にかけては、北アイルランドの16都市で、12月17-8日には、英国本土のブリストル、ロンドン、リバプールでも事件が起きた。英国本土ではMetropolitan Police Special BranchがIRAテロ対策の中心だった。英国陸軍はPIRAの活動は1980年代にはより洗練されて手ごわくなるとみていた。1979年8月27日の事件はPIRAが最も成功させたテロの一つ。スライゴ―でエリザベス女王のいとこEarl Mountbattenとその孫のほか、2人を遠隔操作の爆弾で殺害。その数時間後には英国軍の車列を爆破し、計18人の兵士を殺害した。
  • 1980年になっても、英国本土ではMPSBが、北アイルランドではRUCがPIRA対策の中心舞台だった。MI5はこの年にオペレーションのコントロールを握ることになるが、それでも、MPSBなどとの主導権争い巻き込まれまいとしていた。同年2月16日、3月1日、3月10日、翌1981年12月とPIRAはドイツ国内やブリュッセル、ロンドンでテロ攻撃を仕掛けていった。
  • PIRAは1980年10月から12月にかけて、ロンドンとベルファストに収監されていた囚人達がハンガーストライキを起こした。「自分たちは政治的な地位を求めて活動しているのであって、犯罪者ではない」というのが訴えで、次々と餓死していった。このハンガーストライキによる訴えは米国のアイルランド系住民から同情を得ることとなった。1982年、ニューヨークの裁判所で開かれたアイルランド支援団体the Irish Northern Aid Committeeのメンバーの公判では、「過去20年以上にわたり、米国からアイルランドへ100万ドル以上に値する銃器と弾薬を密輸していた」ことが明らかにされた。
  • 当時、こうした犯罪行為を取り締まる立場のFBIに対し、MI5は次のように苦言を呈してる。「FBIは我々との情報交換に消極的で、情報は常にこちらからの一方通行だ。その理由は、FBIが米国民に関する情報を他国へ提供すべきでないという法律上の壁に加え、FBI自体が情報機関というより、情報交換に馴染みのない警察機構の性格が強いためだ」
  • その一方、MI5はフランスやベルギーといった大陸欧州の情報機関、アイルランド共和国警察との協力関係を強め、共同作業を成功させていった。その過程で、1978年をもって停止していたPIRAとリビアの関係が、ハンガーストライキを機に復活していた事実や、PIRAはソ連と東欧諸国からも武器や手榴弾を調達していたというインテリジェンスが蓄積された。1984年9月29日には、米国から密輸された武器類を積んだ船をRoyal Air Forceが追跡、南の海域でアイルランド共和国海軍が拿捕した成功事例もある。
  • リビアのカダフィ大佐は、1984-7年にかけてもPIRAに武器を提供しており、特に1985-6年にかけては120トン以上の武器類が密輸されていた。それらを阻止できなかったところに、英国のcounter-terrorismの弱さがあると指摘される。
  • 1984年、IJSはMI5が中心的役割を担うことで解体された。背景には、北アイルランドでのテロ発生件数と死亡者数の低下がある。1972年には1万件以上の事件で500人以上が死亡したのに対し、1983年には年200-300件で死亡者も80人以下に減っていた。
  • 1984年10月16日、PIRAはロンドンのブライトンにあるグランドホテルで爆破テロを起こした。MI5が何年も前から危険性を訴えていた通り、保守党党大会が狙われ、党員5人が死亡、30人以上が負傷した。難を逃れた当時のサッチャー首相に、PIRA側は犯行声明を出した。"Today we were unlucky, but remember we only have to be lucky once. You will have to be lucky always."
  • 1980年代の北アイルランドにおけるテロ対策上の問題点として、RUCがPIRAテロリストの逮捕より、射殺を好んでいたとする疑念が指摘される。1988年3月6日、ジブラルタルでPIRA Active Service Unitのメンバー3人を射殺したオペレーション"FLAVIUS"は、その後、射殺が適切だったか論争を引き越した。結果的に、3人は64キロの爆弾と200発のカラシニコフ銃の弾薬を準備し、ジブラルタルでの軍事セレモニーを襲おうとしていたとして、オペレーションは成功だったという評価が定まった。
  • PIRAはその後もテロを起こすが、払う犠牲の方が大きくなってきたようである。MI5は、フランス、ベルギー、オランダ、デンマーク、ドイツの情報機関とPIRA対策で常に協力し、必要があれば、ポルトガル、スペイン、イタリア、オーストリア、スウェーデンの情報機関にも協力を求めてPIRA包囲網を築いた。他方、アメリカでも1989年までにはFBIとの対PIRA関係を構築。武器密輸に絡む4人の米国人逮捕に結びつけた。この4人の逮捕は、PIRAの新型遠隔操作爆弾や対空ロケット砲の開発阻止に寄与したとされる。
  • 1990年代、MI5の諜報活動の主眼はテロリストへ移った。1991年2月7日には、メジャー内閣の閣議が迫撃砲で狙われるテロが起きた。この時期、英国本土でのPIRAによるテロ活動が増加。1977-89年にはテロ攻撃は年間4日を超えなかったのに対し、1990年には19日と80年代の合計より多いテロが起き、1992年には47日に及んだ。1991年6月までには、英国本土でのテロ対策の中心的役割と主導権が、MPSBからMI5に移ることとなった。
  • "Only a combination of good intelligence, good policing and good luck prevented several more incidents on a similar case." the Whitehall Report
  • 1991年の始めからPIRAから停戦交渉の兆しはあった。その背景にいたのは、デリーのBrendan Daddyというビジネスマンで、1970年代前半にシン・フェイン党党首のRuairi O'Bradaighと知り合いだったことから、英国政府は彼を交渉の窓口として活用していた。1993年2月20日にはシン・フェイン党のMartin McGinnessが英国政府との交渉の必要性を公言。そうしたインテリジェンスは2月22日にメジャー首相に伝えられた。1993年7月14日には、MI5、MPSB、スコットランド警察の協力でRobert Fryerを逮捕。1994年6-7月には、PIRAが停戦の意向を示しているというインテリジェンスが増え、8月31日に正式な停戦が表明された。それでも、一部のASUによるテロ行為は続いた。
  • 北アイルランドにおけるMI5の死者はゼロだったのに対し、RUCの死者は300人以上、負傷者は9000人以上。英国軍の死者は763人に上った。1996年、MI5は警察の重要組織犯罪捜査をサポートするよう、the Security Service Actが修正された。
  • Tony Blair首相はインテリジェンスには関心を示さなかったが、MI5の北アイルランドン紛争に関する報告は注意深く読んでいたという。
  • 1998年1月のthe final Belfast (Good Friday) Agreementでは、①北アイルランドは住民の多数意見がある限り英国に帰属する②ユニオニストは南との権力分担と国境での協力関係を受け入れ、シン・フェイン党の政治参加も認める③共和主義者を釈放することで合意した(特に③を巡っては、未だに反体制派共和主義者からの異議の声が強い)。
  • 2007年度、MI5の組織資源の15%を北アイルランドテロ対策に割いた。同年、MI5は史上初めて北アイルランドにおけるインテリジェンス活動の主務を与えられ、ベルファストに本部を設置した(この点に関し、2010年における反体制派共和主義者によるとみられる事件多発を受け、MI5とPolice Service Nothern Ireland, PSNI間の情報共有が徹底されていないと批判されている)。2007-8年のIntelligence and Security Committeeのレポートによると、MI5は「英国本土と北アイルランドにおけるReal IRAやContinuing IRAによるテロ攻撃は今後も続く」とみているという。
  • "The further backwards you look, the further forward you can see." Winston Churchill 

2010年9月18日土曜日

Paris & Tokyo Police

9月10日から16日まで、フランス・パリへ行ってきました。友達との再会の合間を縫って、エッフェル塔、ノートルダム寺院、凱旋門、ルーブルとオルセー両美術館を見て回ってきましたが、個人的に強い感慨を抱いたのは、パリ警視庁(La prefecture de police de Paris)です。


http://www.prefecturedepolice.interieur.gouv.fr/Pied-de-page/node_478/node_1302

なぜ感慨を持って眺めてきたか。日本の警察制度と警視庁(Tokyo Metropolitan Police Department)のモデルだからです。司馬遼太郎著「翔ぶが如く」第一巻では、冒頭で日本警察の父・川路利良大警視とフランスの警視総監・ジョセフ・フーシェ(Joseph Fouche)について触れた後、物語を維新後の明治初期へ展開していきます。


5-6年前、警視庁を退官した元警察官を取材する機会があったのですが、川路大警視と同じ鹿児島県の出身だったその人は、川路とその語録「警察手眼」について誇らしげに話してくれました。そんな経験もあったためパリ警視庁を訪れたのですが、豪華な構造の本部には一般人が入れるような博物館はありません。受付の警備によると、パリ5区の警察署にあるとのことです。

滞在中、International Herald Tribune紙(13日付)で、「フランスへのテロの危険性はこれまでになく高まっており、パリの地下鉄でアルジェリア人のイスラム過激派によるテロがあった1995年並みの危険度だ」とフランス諜報機関が分析しているという記事を読みました。仏紙"Le Journal du Dimanche"からの転電なのですが、詳しく読もうにもフランス語を解せないため、語学力の必要性を実感しました。


少しの仏語力と知識があれば、博物館はもちろん、パリ警視庁正面玄関に架かる碑文も難なく読めたでしょう。

仏諜報機関が指摘した「テロの危険性」とは、この組織が絡むテロの可能性だったのでしょうか?

http://www.bbc.co.uk/news/world-africa-11376257

2010年9月10日金曜日

Terrorism and New Media Conference

今月から大学院生活を送るDublin City Universityで9月8-9日、テロとインターネットとの関連性をテーマにした研究者交流会議"Terrorism and New Media:Building A Research Network"があり、発表を聞いてきました。参加者は欧米の大学や研究機関から60-70人。印象に残った発表を列挙すると、

Dr.John Horgan, Pennsylvania State University
  • 従来のテロ研究は(対象の)視野が狭く短期的な分析で、専門家の意見が多く、政府・政策から影響を受けたものが目立つ。テロを長いプロセスのものと捉え、政策と統合できるような研究方法に変えていくべきである。
  • IRAもAl-Qaedaも、テロとテロリストは世代から世代へ受け継がれている側面がある。長期的な視野に立って、歴史から学ぶ研究(手法)が必要だ。
Ms.Heather Epkins, University of Maryland
  • ワシントンDCで活躍する大手メディアの国防関連担当の記者たちにインタビュー調査したところ、多くの記者がこのディジタル・メディア時代下、「従来の記者(活動)はもはや死んでいる」「もうすぐ失業するだろう」と答えた。当局との関係や距離感がモノを言う国防関係の報道においてもである。
Prof.Phil Seib, University of Southern California
  • 通信機器が発達した現在、移民の移住先との同化問題は深刻だ。なぜなら、移民したとしても、携帯電話で母国の家族や親戚、友達と話せ、多チャンネルの衛星放送で母国の番組や母国語の番組を見ることができる。
  • こうした背景を踏まえ、イギリスではMI-5が、特に14-16歳くらいのパキスタン系イギリス人をhome-grown terroristになる可能性を秘めている危険性がある、とみているという。
  • Public Diplomacyをテロ対策に活用しなければならない。移民に対して、政府支援の職能訓練などはどうだろうか。
Dr.Paul Reilly, University of Leicester
  • 北アイルランドでは、Bebo, MSN, You Tubeといったネット・コミュニケーション・ツールが、犯罪行為に使われている。だが一方で、北アイルランドの若者住民たちは、「不穏情勢安定化のために、英国と南北アイルランド政府にはface-to-faceのコミュニケーションが必要」とインタビューに答えている。
  • 北アイルランド警察("PSNI", Police Service Nothern Ireland)は反体制派共和主義者のホームページやネットでの活動を日常的に監視していないとインタビューに回答している。
Ms.Lorraine Bowman-Grieve, Leeds Trinity University College
  • 反体制派共和主義者達は、さまざまやホームページを立ち上げてプロパガンダをするだけでなく、資金調達も行っている。"Our revenge will be laughter of our children."
Ms.Lisa McInerney, Dublin City University
  • 2010年は近年に比べてことのほか、北アイルランドでReal IRAやContinuing IRA絡みとみられる爆発事件や殺人事件が多い。
全ての発表を拝聴できませんでしたけれども、得るところの多い会議でした。

Dubrovnik, the ex-Yugo Civil War

旧ユーゴスラビア諸国の一つクロアチア共和国のドブロブニクを、8月22日から29日まで旅行してきました。かつて、イギリスの元首相ウィンストン・チャーチルが「アドリア海の真珠」と称賛した古都ですが、1991年12月6日早朝の旧ユーゴスラビア軍とセルビア軍による攻撃で、旧市街中心部から山側に面した北半分は焼け落ちてしまいました。それでも住民たちはほとんど自力で家を改修し、街は世界中から観光客をひきつけています。


ドブロブニク旧市街はユネスコの世界遺産に登録されていることは広く知られています。旧市街のすぐそばで暮らすある家族の女性は言います。「内戦で崩壊した家を建て直すのに、政府も国連もほとんど何もしてくれなかった」。女性の家族は約200年にわたり代々住み続けていますが、家の再建のため受けた公的補助は、「2000ユーロと600ドイツ・マルクだけだった」と当時を振り返りました。旧市街地を歩いていると、「真珠」のような白い壁のあちこちに銃弾の跡が見られます。また、アドリア海に面した旧市街の南側には、家屋が崩壊したがれきが今もそのまま残っている所もあります。


約20年前の内戦を今も感じさせる遺物は他にもありました。クロアチアの南部と接するモンテネグロとの国境です。8月27日、日帰り旅行でモンテネグロを訪れたのですが、クロアチア側の出国審査を終えると、バスで約10分間、”無国籍地帯”を走りました。モンテネグロへの入国審査はありません。この一帯は現在、欧州連合によって国境を再区画されている最中です。帰路も同様に、モンテネグロ側での出国審査はなく、クロアチア側での入国審査だけ受けました。

ドブロブニクからはボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルにも、日帰りのバスツアーが出ています。ボスニアはイスラム教徒の多い国ですが、ドブロブニクのクロアチア人によると、最近はイラン、イラク、アフガニスタンから、イスラム過激派の難を逃れて移住するモスレムが多いとのことです。この政治的亡命話は、ボスニア紛争がイスラム、カトリック、セルビア正教という異宗教間の民族紛争だったことを改めて物語っているように思えました。

ドブロブニクで話したクロアチア人達は今もボスニアやセルビア人に対し、簡単には言い表せない複雑な感情を抱いている様子でした。平和的な雰囲気と活気が漲る街ですが、"Homeland War Museum""Homeland War Gallery""War Photo Limited"といった内戦関連の博物館があります。また、"Maritime Museum"と"Sponza Palace"といった一般の博物館でも内戦被害を展示していて、しばしば心を痛めました。

と同時に、ドブロブニクの人達がいかに苦労して、頑張って、内戦から立ち直ったのか知りたいという好奇心も働きました。復興に関する展示や博物館が同じように数多くあれば、ドブロブニクという世界遺産が経験した内戦の悲惨さを更に訴えられ、戦争への抑止力になるのではないでしょうか。

2010年9月6日月曜日

Blair's Visit

ダブリンの書店で開かれたトニー・ブレア元英国首相のサイン会は厳戒態勢の中にも、物々しかったようです。

http://www.bbc.co.uk/news/uk-northern-ireland-11187320

訪問中、ニューススタンドは閉店を余儀なくされ、ダブリン中心部の交通も遮断された模様。サイン会の行列には罵声が浴びせられており、そうした国民感情や背景事情を知らない外国人が軽々に並ばなくて良かったのかもしれない、と思ったりもします。書店内にうず高く積まれている"A Journey"ですが、立ち読み者の関心は高いです。中には、別の本で表紙を隠すようにして、ブレア自叙伝をレジに持っていくお客さんもいました。

http://www.guardian.co.uk/politics/2010/sep/04/tony-blair-attacked-memoirs-signing
http://www.guardian.co.uk/world/2010/sep/05/tony-blair-book-signing-dublin

新刊で約25ユーロ。先に読み終えなくてはならない本がまだまだありますので、この日は買うのを見送りました。そうこうしているうちにペーパーバックが出るかもしれないし。北アイルランド和平の関係でいえば、A Journeyとビル・クリントン元米大統領の自叙伝"My Life"も合わせて読むといいかもしれない、と考えています。

2010年9月4日土曜日

Counter-terrorism v.s. Journalism

北アイルランドで反体制派への取材を重ねていたフリー・ジャーナリストの任意聴取が容疑者逮捕につながった要因の一つとして、物議を醸しています。容疑者の弁護側は、ジャーナリストの証言が二転三転しているとして、信憑性に疑問を呈しています。

http://www.irishtimes.com/newspaper/ireland/2010/0821/1224277317745.html

ですが、注目すべきは、聴取されたジャーナリストは捜査当局に仕事で使う携帯電話とSIMカードを押収されていることです。通話記録などの解析が目的でしょう。SIMカードは返却されたものの、携帯電話は未だに捜査当局の手元にあることから、ジャーナリスト本人はもちろん、記者の組合も非難の声を上げています。

http://www.irishtimes.com/newspaper/ireland/2010/0821/1224277317758.html

当局側は、ジャーナリストの質問にも「捜査上の秘密」を理由に詳細を語りません。北アイルランドや英国でテロ対策・政策上どのような法制度があるのかは今後調べたいと思いますが、テロ捜査と取材・報道の自由との距離感について考えさせられる記事でした。

US Air Security

http://www.guardian.co.uk/world/2010/aug/31/dutch-hold-yemenis-terrorism-suspicion
http://www.irishtimes.com/newspaper/world/2010/0901/1224277972587.html

米国の航空保安、行政に関する最近の記事から、オバマ大統領が昨年のクリスマス・テロ未遂事件後の発した"Systemic Failure"という言葉を思い出しました。空港でチェックイン後の全身スキャナーや貨物のスクリーニング、入国時の指紋採取など、議論は多いものの、テロ対策の必要性は認めます。ですが、米国の航空保安行政の組織的、構造的問題も同時に解決することが急がれるのではないでしょうか。無数の国際線が離着陸するアメリカ全土の空港におけるテロへの脆弱性は、国土安全保障上だけではなく、国際的な影響も大きいのは自明の理だからです。この際、TSA(Transportion Security Administration=運輸保安庁)とFAA(Federal Aviation Agency=連邦航空局)を統合するなどして、機能強化を図ったらどうでしょうか。TSAを傘下に収めるUSDHS(US Department of Homeland Security=国土安全保障省)のある職員は、2008年に行った筆者のアンケート取材に対し、「DHSは役所として大きすぎる。いずれ解体されるべきだ」などとコメントしてくれました。

The two articles relating to the US air security and administration remind you of the President Obama's comment "Systemic Failure" which he criticizsed intelligence community of not having shared information enough at the Chrismas day terrorism attack in 2009. Although it is still contraversial that scanning body of traveler, screening cargo and matching finger prints with terrorist list, you cannot deny the necessity of counter-terrorism measures at an airport. In additon, US government must rush to resolve the systemic and organizational problem of air security and administration simultaneously. Their vulnerability to terrorism is very crucial not only for US homeland but for interntional security, because numberless flights are flying in and out from US airports. Here is one proposal: How about integrating TSA and FAA in order to enhance their functioning and capability of counter-terrorism? An official of DHS which exercises jurisdiciton over FAA gave a comment in author's survey interview in 2008 that DHS is too huge to perform effectively and therefore DHS should be dismantled and downsized in the future.

US Sanction against North Korea

North Korea punished by US over sinking of warship
Barack Obama widens scope of US sanctions, in part to punish Pyongyang for incident in March

Reuters, Monday 30 August 2010 19.47 BST

President Barack Obama today froze the US assets of three North Korean organisations and one individual, a US official said, in part to punish Pyongyang for the sinking of a South Korean warship in March with the loss of 46 lives. Obama signed an order to widen the scope of US sanctions to allow Washington to go after the assets of North Korean organisations that trade in conventional arms and luxury products, and that counterfeit US currency. North Korea last week released US citizen Aijalon Gomes, who had been sentenced to eight years' hard labour for entering the country illegally.

米国政府が北朝鮮に新たな経済制裁を大統領令で科したというロイター電。同日の財務省発表文とFact Sheet、Stuart Levey財務次官の会見文。北朝鮮の役人が過去30年間に日本などで薬物取引にかかわっていたとサラリと触れているが、今はどうなのだろう。

http://www.ustreas.gov/press/releases/tg839.htm
http://www.ustreas.gov/press/releases/tg840.htm
http://www.ustreas.gov/press/releases/tg841.htm

同日、国務省で開かれた定例会見のやりとり。北朝鮮問題について、日本の立場から見て突っ込んだ質疑はされていない模様。

http://www.state.gov/r/pa/prs/dpb/2010/08/146439.htm

Tony Blair's "A Journey", and Real IRA

トニー・ブレア英国元首相の回顧録"A Journey"が9月1日に発売されました。出版を記念してブレア氏のサイン会が4日午前11時にダブリン中心部にある老舗書店"Eason"で開かれるので、見に行こうと思っています。

Guardian紙では発売日当日にブレア氏のロングインタビューを掲載、併せて回顧録の内容も説明していました。おもなトピックは、イラク戦争で戦死した兵士と遺族への謝罪、対アフガニスタン政策、ブラウン前首相との確執などです。

これに対し、Irish Times紙では2日付紙面で同書を紹介しましたが、紙幅を割いていたのは当然、北アイルランド和平交渉に関する記述です。当時の交渉を英国サイドから探る絶好の資料となるかもしれず、読む価値がありそうです。また同紙は、アイルランド系英国人でブレア氏が22歳の時に亡くなった元首相の母親に関するサイド記事も掲載、目を引きました。

ブレア―クリントン政権時に和平合意が成立した北アイルランドですが、Real IRAとギャング達の暗躍は現在も活発で、広く幅を利かせているようです。

http://www.independent.ie/national-news/rira-expanding-its-crime-empire-2297954.html

爆破や射殺事件だけでなく、薬物取引、人身売買、パブの用心棒…と、Independent紙日曜版の記事がRIRAとギャングの暗躍をまとめています。懸念されるのは、シン・フェイン党側が現状を鑑みて、英国政府とアイルランド政府に反体制派共和主義者と交渉するよう求めているのに対し、両国政府は"this is not the case."と静観している(装っている?)点です。今後、事態はどう推移するのでしょうか。